言葉が「虚構」を作り現実になるならば……とりあえずいっちゃえ!

「本」って、なにがいいんだろう? と考えてみたことがあります。

昔は、「本」は眠りの呪文が書かれた眠りの薬だと思っていました。
今もその傾向は……今もトキドキ。

それでも、やっぱり「オモシロイ!」と思った本は一気に意識がもっていかれます。
時間も空間さえも、本の中にもっていかれるような感覚が、快感なのかもしれません。

一度でもそれを味わってしまったら……読むことをやめられなくなるのでしょうか。
それでも、「これはオモシロイ!」と思う本とは、なかなか巡りあえません。
白馬の王子様を待っている?! なんて(笑)

 

もとい。

いつ読んでもなんど読んでも、違う味わいが出てくるのが「本」のいいところだと思っています。

ですが、自分にとって「オモシロくない」ものだとしたら、今はそれを読むタイミングではないのかもしれません。あるいは、もはや「読まなくてもいい本」なのかもしれません。

そのときの自分の興味がどこにあるのか? で、そそられるものが変わってしまうことを知っているので、本をなかなか捨てることができない、というのも本音です。

毎月増えていく本たち。
読みたかった本命を探しているうちに、ついつい手を出てしまう本たち……(本命は真ん中!)

味わえるものがない本は自分にとって不要なもの。
そう割り切ることができれば、本の整理も進むよなぁ、と思いながら本棚を眺める今日この頃です。

サピエンス全史(上)

今日ご紹介するのは、もう何度と読んでいます。
毎回違う味わいをもらいます。

「サピエンス全史(上)」
(ユヴァル・ノア・ハラリ)
2016/9/30

上巻で何がいちばん衝撃だったか? といえばこれ。
「言葉」と「虚構」のお話。

なるほど。とてもオモシロイ。

よくよく考えてみても、なぜ「右」は「右」なのか?
なぜ「左」ではなく「右」なのか?

rightであろうがdroit(フランス語で「右」を意味する)であろうが、それがそれたりえる理由は、どうやって決められたのか? 

などと考えてみると……

「右」ということをみんなが「右」と認識するから「右」になっているだけであり、もし、誰かが「それは『上』にしよう!」といえば、「右」は「上」になっていたのかもしれない……
みんなが「それは『右』でいいよ」といったから「右」になったからで、そもそも「右」なんてものはないのかもしれない……

ややこしい(笑)
けれどもオモシロイ。

もはや「考えても仕方がないこと」を想像するのが好きです。

じゃぁ、いっちゃえば?!

「『右』を『上』と呼ぶことにしよう!」といったところで、誰にも相手にされません。

けれどもたとえば……「『ビットコイン』というものを作りました。これはこういうもので、こうやって使うことができます」と発表されて10年ほどでしょうか。

「ビットコイン」という名前だけでも聞いたことがある人は、今や少なくないと思うのです。
20年前、わたしがまだ若かりし頃?! には、「ビットコイン」などという言葉すらなかったのに。

つまり……いっちゃえばいいわけです。
当てはまる言葉や概念がなければ、勝手にいっちゃえばいい。

それを「いいね」という人が多ければ多いほど「当たり前」になるのだと、この本は教えてくれたように思います。

もちろん、闇雲にいっても誰にも「いいね」といわれなければ、それが広まることはありません。
いったことを広めたければ、「信用」といわれるものが必要になるのかもしれません。

それは「『いいね』の数の多さ」であったり、あるいは、「既にみんなに認めらているものから『いいね』といってもらうこと」なのかもしれません。

いずれにしても、何かをいったとき、自分の満足だけで終わらせられないならば、それなりの「いいね」がいることは仕方がないようです。

ん……?! まてよ……ということは?!
誰の「いいね」もいらないものならば……いくらでもいっちゃえる??! 

誰の「いいね」も必要としない、言葉にするだけで現実にできうるものは??

誰の「いいね」も必要とせず、言葉にするだけで現実にできうるものって何があるでしょう?

わたしなら……「わたしはこんなんです!」といってもいいのかなぁ、と思います。
もし物語ができるくらいの長編となれば、それを「人生」といってもいいのかもしれません。

あとから思い返して「あ、これがわたしの人生なんだ」と思ったものを人生とするのか
「こういう風に生きたい!」と語った物語を人生にするのかはわかりません。

ですが、「こういう風に生きる」と自分でいってしまえばその人生は自分のもの。

そう考えても悪くはないと思います。

どんな言葉を綴って自分の物語を作るのかは、その人しだい。
誰の干渉を受けることもありません。

もちろん、語った物語に「いいね」と言ってくれる人があれば、その人はあなたのよき理解者。
もしかすると、お互いが「いいね」となれば、同じ目的に向かうパートナーとして、共にその道を一緒に歩むことになるのかもしれません。

「いいね」と言ってくれる人が二人以上いれば、仲間、というのかもしれません。

 

まずは、描いてみること。
あなたの物語を書いてみることです。

描いたなら、次は、誰かに話してみてください。

サピエンスは、言葉から物語を作りそれを共有信念とすることで今日まで繁栄してきた、というのです!
つまるところ……誰かに話して共有し「いいね」の仲間といっしょにその物語を現実にしよー! ということです!!

 

わたしも、考えてみました。長くなるので……とりあえず、今現実にしたいことをこちらで言ってみようと思います(笑)

それがこれ↓

あかり
考えても仕方がないことを笑いながら真面目に! 話ができる仲間がいっぱいほしい!!!

 
ということで?!
「あかりば」に遊びに来てくださいー!!!

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