「感謝をしましょう!」「利他の心が大切です」という人がいます。正論だとおもいます。
けれども、その正論に傷ついてしまう人も少なからずいるのです。
心が弱っているとき、そうなりたいと思っていてもなれないとき。

初めての子育てで不安がいっぱいのなか、授乳や夜泣きで寝不足のお母さんが、「何事も感謝が大切です」「生まれた子どものために今の状況でも感謝しましょう」などといわれれば、どう思うでしょうか?
もし私なら、、、「アホちゃうか」と思ってしまうかもしれません。いや、12年前の私はそう思っていました。

不安と寝不足でいっぱいの心のなかにも、子どもを授かったことへの感謝が溢れているし有り難いと思う。けれども思ってしまうことがあるのです。
「子どもは可愛い、でも、、、ときどきこの状況を放棄したくなる」

余裕がないのです。

そんな思いを抱える自分を、子どもにイライラしてしまう自分を責めてしまうのです。
「なんで私はこんなんなんだ、、、母親失格ではないか」と。

 

もし、少しの時間でも見つけられるならこの本を手にとってみてください。そんな思いをこの本に吐き捨てることで、楽になると思うから。
「成功している人は、なぜ神社にいくのか?」八木龍平著

この本は2016年7月に初版され、2016年内にすでに10万部が売れているベストセラー本です。
正直、読もうか読むまいか悩んでいた本ですが、食わず嫌いは性に合わないため、本書を手に取ってみました。

霊能がどうのこうのや、見えない世界をどう捉えるか、はさておき。
感謝の気持ちや利他の心といった「当たり前」に思うようなことが、「神社」というテーマでおもしろく書かれています。

 

心が弱っているお母さんに、わざわざ「正論」をぶつけるの?!
神社と成功と、子育てに関係ないじゃない?!
一見には、そう思われるかもしれません。

正論に苦しんでしまうのは、「自分もそう思っている(けどできない)」という方が少なくありません。
ならば、「弱くていいから、愚痴を吐いてもいいから、、、その灯は消さないでおこうよ」と、お誘いしたいのです。
自分も子どもも、家族も含めて、「幸せ」や「笑顔」、感謝を伝えられる自分でありたいと苦しむからこそ、こういう本に、あなたのジレンマをぶつけてみて欲しいと思うのです。

 

著者はいいます。
「神社」とは、たくさんの「祈り」が詰まっている場所
「祈り」とは、「意宣り」であり、意思を宣言する行為
「神様」とは、私たちの集合意識であり「祈り」の集合体
「神社の神様」とは、大きな挫折を味わいその悲しみをのりこえて人々を助けようとする純粋な意思
「神社」の見えない仕組みは応用できる。ものも人々の祈りの集合体になりうる
「祈りとは神様とのコミュニケーション。自分の祈りと神様のとの祈りが合致したとき、その願いはスムーズに運ぶのだ」と。

 

もし「神様」が人々の祈りの集合体であるならば、神様の祈りとは「人の幸せ」なのだと思います。
たとえ悩みや愚痴をぶつけることになっても、苦しみのジレンマのなかにある誰かを思う気持ちは拾われて、悩みや愚痴は人々の祈りの中に昇華されていく、と私は捉えました。

吐き捨てるだけで楽になることがあります。
誰かに言いにくい悩みならなおさらのこと。
「子どもを可愛がって当たり前でしょ」という正論に対するジレンマは、まさにそれでしょうから。

だからこそ、ものも人々の祈りの集合体になりうる、と書かれているこの本を「神社」に見立て、ジレンマを吐き捨てる場所にしよう、というのです。
本心に抱える誰かを思う気持ちを忘れても、思い出すきっかけにしてほしいのです。

これは神妙に読むような本でもありません。
むしろ、イラストや自虐ネタが混ざっていますから、気分転換にもいいものです。

もちろん、この本をパラパラめくるだけでも構いません。
神社に見立てたこの本で、苦しいその状況から少しでも気分転換ができればと思うから。

 

※「読活」は、本を読むことだけをおススメしている活動ではありません。本をあなたの日常に活かしてほしい、そのための活動です。あなたに合った本の使い方が、ここにあれば嬉しい限りです。

※読書後に、ぜひあなたの感想もお聞かせください。読活交換いたしましょう!!

 

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