「セラピー」というものを扱っています。
これがなかなかに……タイヘンです。
なにがどうタイヘンなのかというと……「さらになる」……そんな形容がいいかどうかはわかりませんが、わたしにとっては、そんな感じのタイヘンさです。
ちなみに、「さら」って……日本人共通言語なんだろうか、とフト気になり……
もしかすると、関西弁なのか、単なる我が家独自の言葉なのか……もと思ったので説明しますと……つまり「さらになる」とは「新しくなる」という意味で使っています。
なんで「さら」になるのがタイヘンなの?
「さらになる」って「新しくなる」という意味ですから、なにが「タイヘン」なの?? です。
むしろ、嬉しくなることの方が多いです。
短くなって書きづらくなった鉛筆が、さらになったら子どもは喜ぶし
洗い古したブラウスより、さらのブラウスはパリッとしていてカッコいいし
それに「さら=新」とつけば、なんとなくワクワクするし……新学期とか新年とか……新世界とか。
でも、この「さら=新」って、やっぱりタイヘンなわけです。
なんで、タイヘンタイヘン、っていうかって??
それは、「新しいものになる」つまり……「これまでのものとは違うものになる」を想像してしまうから。
「新しい」ことをするとき、それほど躊躇しないほうで突き進める方ですか?
わたしはどうだろう……
たとえば、新しい本に出会ったとき。
誰かのプレビューを読みたくなったり……
たとえば、レストランを探すとき。
評価サイトの写真やコメントを読んで比べてみたり……
なにかを参考にすることって、よくあることです。
ひとりでも誰かがやっていると、安心する
そう思うのは特別でもないし、あるいみ仕方がないもの。
人間の脳みそが「そういうもの」なんだそうです。
人間の進化の過程で、未だに持っているといわれている、爬虫類時代の脳みそが「新しいものより慣れているものの方が安心する」のだとか。
意識がちょこっと新しくなれば楽になる?!
最近は、改革とか革新とか……とにかく「新しい」を想像させるような言葉が目につくようになったなぁ、と思います。
確かに、これまでの慣習が行き詰まり、弊害が目につくようになっていることもあります。
たとえば、今の日本の結婚制度。
異性との結婚だけが認められているこの制度は……新しくした方がいいと思います。
あと、子どもは「親が育てるもの!」というしがらみは……もう、いらんと思う。
自分がそうだった、というのもあるけれど。
お母さん自身も、周りの人も、同じだけ「親が育てるもの!」という強制的な意識を無くせば、もっと子育てが楽になると思うから。
でもこれ、どっちか一方だけがその意識に偏っても……うまく回らないだよなぁ。
むつかしいといえば、ムツカシイ。
話をもどして。
兎にも角にも、ちょっと苦しいなぁ、と思うことが「さら」になると、やっぱり楽になることがあるわけです。
で、そこの「ちょっと苦しいなぁ」を感情レベルで完了できるのが、セラピー、なんだなぁ。
と、わたしは思うわけです。
次にいくため、の提案
ほんとうは「いや!」「やめて!」っていいたかったのに言えなかったこと
どうしたらいいのかわからず、泣くこともできず、ただ黙っているしかなかったこと
昔のことだから……なんだけれど、それがときどき、今もチクっとすることがあったとしたら、その「チクっ」をとってみると痛みが軽くなるよ、というのがセラピーだと思っています。
こんないい方もできる。
わたちの脳みそはとても優秀だから、昔のことをしっかりと覚えています。
全く自覚なく無意識なんだけれど……
それがときどきひょこっと顔を出すと、なんともいえない気持ち悪い気分になったり、妙にソワソワしてしまう……そんなこともあります。
その気持ち悪さやソワソワが、ほんの少しでも「いやだなぁ」と思うことがあったら、そこにセラピーをやるとする。
すると、昔の記憶がひょこっと顔を出しても「やぁ、元気してた?」って懐かしい友達に合うような気分になるのが、セラピーなんだなぁ、と思うわけです。
セラピー、というと、なにか特別な感じがあって敷居が高そうだけれども、わたしが思うに、セラピーは、「心の「チクっ」をとったり「いやだなぁ」と思うことを終わらせて、次にいってみませんか?」という提案にすぎません。
だから、「さらになる」なんだなぁ。
次を、目指すから。
それは決して、これまでのものを「なしにしよう」ということではなく、これまでのことをいったん終わらせて、その上に「新しいもの」を積み上げよう、ということです。
ちゃぶだいをひっくり返すこともなければ
みんなで異世界へGO-! なんていうこともないです。
ただ、その先をみたいから、という未来への信頼が、人をセラピーに向かわせるのだと、思います。
そんな特別なものでもないし。
ただ……爬虫類の脳みそが抵抗してくるぐらい(笑)
でも、たしかに、爬虫類の脳みそが抵抗してくると……特別で異様で、敷居が高いと、おもわれるのかもしないなぁ。
と……
そんなことを感じながら、わたしはセラピーの現場に立ち、そして、セラピーに向かう人をつくづく美しい人だなぁ、と思う、今日この頃です。
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