新しい本を仕入れました↓
算数が苦手! という人にはおススメの本から日本的「数字」の考え方の本。
ピュタゴラスからプラトンにハイゼンベルグときて……ハイデッガーを超える??! 本。
さて、この本たちの共通典があります。
それは……これ↓
タロット、オモシロイです。
さて、今日はこんなお話をしたいと思います。
「『それ』を知ったところで……どうするの??」
最近、「○○理論」というものが目についてきて仕方がありません。
先日は「ポリヴェーガル理論」というものと出会いました。
目についておきながら、いつも考えてしまうノデス。
そんなん知ってどうすんの???
生活するのになんの役にたつの???
と。
「理論」というものに惹かれるのはなぜか考えてみた
とはいえ。
私は「○○理論」といわれるものを知りたい、と思う方です。
もちろん……はっきりいって……わかりません(笑)
何を言っているのかわからない。
にもかかわらず……好きです。
「分からんわー」
「なにがいいたいねん!!」
とブツブツいいながら、なんどもなんども本をペラペラとめくりながら使われている言葉に慣れていくと、不思議です。
だんだんと書いていることが頭の中に入ってくるようになります。
この感覚が、わたしにはたまらなく快感です。
京都大学で働いていた頃、教授と打ち合わせをしているときに一番困ったことがあります。
それは……教授が話している言葉が分からなかったことです。
頭の中にはってこないのです。
話が分からないからメモも取ることができない。
電話で話しているときなんて……もはや「宇宙語やん!!!」と泣きそうになったことは数知れず。
フランスでお客さんを接客をしていた頃よりも……相手が言っていることが分からなかったです。
それでもある時、フト……ほんとうに「ふっ」とした瞬間です。
目の前がサーっと明るくなってくる感覚を覚えることがありました。
そこから一気に言葉が頭のなかに入ってくるは来る。
一瞬の「あ!!」というなんともいえない……言葉が入ってくる快感を味わうと、やめられないです。
だから、「○○理論」というのが好きなのかもしれません。
よくわからないからこそ、の「○○理論」です(笑)
「○○理論」は実生活に役立つのだろうか?
「○○理論」というからには、○○を説明している、と考えてもいいのでしょうか。
かなり乱暴に簡単にいってしまえば……
「こうで、ああで、こうだから、そうなって、こうなって……だから○○は××なんだ!!」
ということでしょうか。
たとえ「○○は××だ」といわれても……馴染みがなければ「はぁ、そうですか……」と返事に困るほど、苦笑いぐらいしか返せないものかもしれません。
でも……ということは……??!
「○○が××だ」ということが馴染みになって、身近に感じることができるようになり、「日常のこういうことに役立てる」ということがわかれば、「○○理論」も浸透するのかもしれません。
それはまるで「数字」のように、みんなが当たり前のように使えるようになるまでに、なるのでしょう。
とはいえ。
馴染みにするために、なんどもなんども触れるよう工夫をしたり
身近に感じさせるために、時代にある表現や言葉に噛み砕いたり
役立つことがわかるように、「こうやって使えばいいよ!」
とするのが大変なわけで……
長い道のりです。
ですから、それをやっている人に出会うと、その方をほんとうに尊敬してしまいます。
スゴイ、と思います。
そういう意味では、ノウハウや方法論を教えてくれる本の著者さんは、いつもスゴイなぁ、と尊敬のまなざしです。
話を戻します。
どんなに「よくわからない『○○理論』」でも、それが実生活に役立たない、とは思っていません。
むしろ、知っていて損はない! とさえ思うほどです。
ただ、私たちの身近になるまでに時間がかかるということ。
あと、たとえ「○○理論」が身近になっても、それが自分仕様として使えるか? は別のこと。
「○○理論」が身近になり「こうやって使えばいいよ」となった後、それを使いこなせるようになることは……「○○理論」が役に立たない、という話とは別の課題です。
なぜならば、こうするといいよ、という「使い方」は、本人に合う使い方にするための工夫が必要だから。
「こうすればいい」が、そっくりそのまま万人に「いい」わけがありません。
置かれている環境が違えば、立場が違えば、状況が違えば……「こうすれば使える」という工夫が必要です。
自分仕様にするための工夫です。
コメントを残す